撮影/源賀津己
~舞台『藪原検校』について~
江戸時代の中頃、日本三景の一つ・松島は塩釜の漁港に一人の男児が生まれた。親の因果が子に報い、この子は生まれたときから目が見えない。盲目の身に生きる術を得るべく、塩釜の※座頭・琴の市に預けられ、もらった名前は杉の市。父親譲りの曲がった性根と母親譲りの醜さ。ありがたくもない天賦のためか、杉の市は殺しと欲にまみれた栄華への道を上り始める。
※江戸期における盲人の階級の一つ
今回の舞台『藪原検校』は、日本を代表する劇作家・井上ひさしさんによる戯曲です。1973年に発表されてから今日まで、多くの人の心を動かし続けています。
井上ひさし先生は、僕たち歌舞伎役者にとって所縁ある方で。僕が以前に出演させていただいたものに『雨』という作品があるのですが、そのときに感じたのは、「日本人の団結力の怖さ」を鮮明に描く作家さんだということ。日本人って、いざというときにガチッとまとまる力はありますけど、よそ者が来たら鬼気迫る勢いで排除しようとする恐ろしい面もありますよね。良い面を描くと同時に、悪い面にも焦点を当てる。その作風が、今なお人々の心を打つのだと思います。一人の日本人、役者として、井上先生の作品でお芝居ができるのはとても嬉しいことです。
本作の主人公・杉の市は、これまで数々の役者さんが演じてきた「稀代の悪党」。キャラクター作りとして意識する点は?
過去にどう演じられてきたかは、あまり考えません。先人を意識し始めたら、それこそ何十代と受け継がれる歌舞伎なんてやっていられませんから(笑)。それに僕は、キャラクターの色って脚本の時点であらかた固まっているものだと思います。ただ、演じる役者によって「どの面が色濃く出るか」は変わってくるし、それは役者自身の個性に左右されるもの。悪者になり切ろうとしても、どこか愛嬌が見えてしまうとかね。そういう意味では、いくら修練しても誰も真似できない「自分らしさ」で勝負するしかないのかなって。
無理にオリジナリティを出そうとしない、ということでしょうか。
そう。ただ今回お手本にしたいと思っている人はいて、それが勝新太郎さん。どれだけ悪いことをしても「かわいいな」「憎めないな」と思わせられる愛嬌があるでしょ? それは勝新太郎さんの天性だし、寄せていっても敵わないだろうけど、僕が杉の市を演じるとしたら勝新さんのように「どこか許せてしまう」悪党を作りたいですね。
昨年はドラマ『半沢直樹』の出演など、歌舞伎以外の場でも多忙を極めていたかと思います。日々の体調管理はどのようにされているのでしょうか?
シンプルだけど、ストレスをためすぎないこと。身体を過保護にしすぎない、とも言えるかな。例えば食事のカロリーを細かく計算したり、冷えを気にしてやたらと厚着したり。気にしすぎるのって、僕はあまり良くないと思っています。それこそ、いざ病気を患ったとき「どうしよう」って深刻に捉えて余計に身体を弱らせるかもしれないし。「気」に「病む」と書いて、病気ですから。多少の不調だったら、ネガティブに捉えず「受け入れる精神」が大事だと思っています。
「受け入れる精神」。歌舞伎の世界においても大切な考え方だとお聞きしました。
例えば、歳をとることに関してもそう。歌舞伎の世界は、年齢に抗わず受け入れる。今はそうでもないですが、一昔前は歳をとるってマイナスイメージだったじゃないですか。でも本当はポジティブなことだと思うし、歳をとらなきゃ得られない貫禄や風格だってある。考え方が変わるのも一つです。若いころは「欲しい」のマインドばかりだったのが、大人になると誰かに「与える」「役に立つ」ことを求め始めるもの。それこそ「終活」なんて若くて元気なうちから始めるべきですよね。今ある健康を当たり前と思わずに、やれることはどんどんやっていきたい。
最後に、猿之助さんが見据える2021年を教えてください。
2020年は文明の転換期だったと思います。新型コロナの影響を受けて「新しい生活様式」という言葉が流行りましたけど、2021年は果たしてそれを実践できるのか、できないのか。「進歩」と「退化」の分岐点に立たされている気がします。とはいえ、こうして舞台が開幕できるようになったのは一つの安全指標でもありますから。警戒はしつつも、過剰になりすぎない。感染症に対しても、「受け入れる姿勢」がとれたら一番いいのかなって。
PARCO劇場オープニング・シリーズ『藪原検校』
作:井上ひさし
演出:杉原邦生
音楽・演奏:益田トッシュ
【出演】
市川猿之助 三宅 健 松雪泰子 髙橋 洋 佐藤 誓
宮地雅子 松永玲子 立花香織 みのすけ/ 川平慈英
【東京公演】2021年2月10日(水)~3月7日(日)
※名古屋・石川・京都公演あり
後援:TOKYO FM
企画・製作:パルコ
【公式サイト】https://stage.parco.jp/